まだ20代の頃になにかの本で見かけた。
とても腑に落ちて、ずっしりと心の奥に残った。
座右の銘のようなもの。
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息子が小学生にあがった頃、まだまだ世界はコロナ渦で、外で出来る娯楽に乏しく、家で映画を観ることが多くなった。
小学1年生と一緒に観られる映画はひととおり見尽くしてしまい、アニメを見始めた。
それが「ハイキュー」だった。
息子はすぐに影響され、バレーボールをやりたがった。
何にでも影響されやすいかというとそうではなく、周りの男子が幼稚園のうちからサッカークラブに通う中まったく見向きもしなかったことを考えると、バレーボールは息子にとって何かだったのだと思う。
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子どもを育てる上でひとつだけ信念としていることがある。
人間は、好きなもの、夢中になれるものと出会うために生まれてきたということだ。
わたしが息子に望んでいるのは、「夢中になれることを見つけて欲しい」その一点に尽きる。
たくさんのそれに出会うのもよし、ただ一つを深く深く掘り下げるのもよし。
だから息子が何かに興味を持つと、全力でサポートする。
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通える範囲のバレーボール教室はどこも「3年生から」とされていた。
そこで小1の指にも優しい柔らかめのバレーボールを買った。
以来何年も、息子は家の前でひとりトス練習をしている。
3年生になると満を持して教室に通い始め、しばらく通って少し自信をつけると老舗チームの門を叩いた。
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それからまだ2か月ほどしか経っていない。
でも、4月は大会が多く、すぐに選手として特訓を受けることになった。
予想以上に厳しかった。
泣いて帰って来ることもあった。
脚が痛くない日はなかった。
「やめたいって言いだしたらごめんね」と弱音も漏らした。
それでも、根がくそまじめな息子は、体が痛かろうが心が苦しかろうが、とにかくコーチ陣の話をよく聞き、実践し、力を付けた。
ある時、練習から帰ると、出かけた時の重暗さはどこかに消え失せ、息子は「今日の練習は忘れない」と目を輝かせた。
とりわけ厳しいコーチから褒められたのだ。
6年生以下全員の前で、新人4年生のスパイクジャンプが褒められたのだ。
こっそりと手伝いのふりをして見学に行っていたわたしは、ちゃんと見ていた。
でも、それで全てが解決したわけではなく、その後も浮き沈みを経て初の公式戦を迎えた。
これでコテンパンに負けたら、また大きく沈むのかな。
今度こそ「やめる」って言うのかな。
わたしはなんて声をかけたらいいんだろう。
かけるべき声なんてあるわけはなく、経験から学ぶしかないのは分かっていた。
分かっていたから、祈るしかなかった。
勝つことを、ではない。
学ぶことを。
水を差すような不安は杞憂だった。
息子たち4年生チームは、1セットも落とすことなく全勝し、優勝を果たした。
息子は喜ぶと言うより、泣き出しそうな顔でホッと胸をなで下ろしていた。
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心や体に痛みを感じることなんて、出来ればしたくない。
でも、やりたいことを掴むには、やりたくないことを超えていくしかない。
この先も、まだまだ、死ぬまでその繰り返しだ。
今回幸運だった分、次の試練には大きく心を砕かれるのだろう。
それでも、何度でも学び、何度でも立ち上がれ。
何度でも、夢中になれ。

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