LAにはなんの思い入れもない。どちらかというと好きな街ではない。それでも最後にここを訪れた理由は、・・・いくつかあるんだけど、日本行きの航空券が安く手に入ること。(サンノゼからLAは、その気になれば$1で移動できる。)それと、4年半過ごした、それなりに慣れ親しんだ「ベイエリア生活を終える」のではなく、少し長めの旅行を終えるように、さらっと日本へ発ちたかった。思い入れのない土地のほうが、そうできる気がした。
この街はきれいではないし、食べ物も美味しくないし、人が優しくない。早く家に帰りたいと思う。‘家’に。
サンノゼのアパートを出てからのことを、備忘のため収めておこうと思う。
2月8日に家人を見送り、パロアルトの知人宅の一間を借りて暮らし始めた。パパ、ママ、8歳の男の子と5歳の女の子という構成の家族だ。部屋を片付けて、落ち着く間もなく、すぐに8日間の一人旅に出た。サンディエゴまで飛び、車を借りて、アリゾナを国境近くまで回った。朝起きて、決めた距離を運転して、午後になったらモーテルにチェックインして、シャワーを浴びて昼寝をし、夕方ダウンタウンに出た。だいたいライブハウスで音楽を聴いていた。観光地ではないので他にすることもなく、そうして夜遊びをして、最後にLAに入り、Ed Sheeranのバースデーライブをみた。とても自分らしい旅だったと思う。
パロアルトに戻って、それからの4週間、のんびりとのんびりと人生の夏休みを謳歌するつもりでいたけど、もちろんそんなわけにはいかなかった。銀行や病院、各種保険、携帯電話の解約など、毎日どこかに出向いて、「ああ、これも提出してもらわないと・・」と、次の宿題を渡された。日本からも新生活に向けた宿題が飛んできた。これを書いてる今もまだ完結していない。合間にサンノゼの図書館で無給バイトをしたり、プリスクールの人手が足りなくてヘルプに行ったりした。落ち着いた頃、友人たちに挨拶をしに回った。
つくづくと私は、いい歳をして「別れの挨拶」が苦手で、常にぎこちなく「たぶんまた来ます」と嘘をついて、いつもと同じ顔で出ようとした。勘のいい人には、「そういうことにしてあげる」と笑われた。アメリカ生活を終えることには、自分でも不思議なくらい寂しさを感じないけれど、好きな人たちと会えなくなるのは寂しい。
やっと、ホストファミリーのもとで一緒に食卓を囲んだり、洗濯や掃除や犬の散歩を手伝ったり、ときどきプロジェクターを設置してみんなで映画をみたりした。映画の時間にはママがポップコーンを作ってくれた。ポップコーンがこんなに美味しいものだとか、映画にはポップコーンが必須なんだとか、そのときになって初めて実感した。とてもいい家族だった。それなのに、ときどき居心地の悪さを覚えた。自分の家族が恋しくなったのだと思う。
日本への帰国が決まってからこっち、再三「帰りたいか?」「日本とアメリカ、どちらが好きか?」と聞かれた。なんど考えてみても、正直にどっちでもよかった。ただ、ひとつ心の中にあったのは、もう長期旅行者ではなく、その土地に暮らす責任を全うして、コミュニティに貢献して、政治を考えて、親の世話をして、根をはって生活したいということだった。日本でもアメリカでも、それはどこでもよくて、ただ‘ホーム’に憧れた。もう、この半人前な長期旅行生活を終える時だったのだろう。
4週間があっという間にすぎて、パロアルトを発ち、サンノゼに戻って、ホテルで一泊した。これまで毎日その前を通り過ぎていた、まさかそこにそんな形で泊まる日がくるなんて想像もしなかったホテルだった。朝7時、LA行きのバスに乗った。感傷的になりたくなくて、ならないように注意深くいたのに、やはりそれは難しいことだった。どんな一場面を思い返しても、この街もここで出会った人たちも大好きだ、と改めて想いがこみ上げた。全てが奇跡だとしか思えなかった。
どうか全ての奇跡が私の中に刻まれていて、私自身がこの4年半を体現していますように。・・・きっと。そうだとよいのだけど(笑)
ここLAでもまた珠玉の音楽を聴いて、旅に疲れたただの行人として、日本行きの便に乗る。
日本でまた元気に会いましょう。
2 comments:
あなたの撮る写真には、いつも美しい時間が写っている。
それらはまさに、奇跡そのものなのかもしれないね。
N.さん
ありがとう。上手ではないのですが、その時みえていたものと一緒に自分の気持ちも記録しておけるので、写真はやっぱりいいなあと思ってます。
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