2012-06-21

上を向いて歩こう

故・坂本九さんの「上を向いて歩こう」が世界的なヒット曲であること、アメリカのビルボード誌で一位を獲得した、今尚唯一の邦楽であることを知らない人は少ないと思う。今日はその話し。

私が欠かさず見てるテレビ番組に、「旅のチカラ」がある。有名な誰かが、何か強い目的や思いを持って、望んだ場所を旅する。今回は、徳永英明がアメリカ西海岸を訪れた。私の徳永英明に対する思い入れ・・・・それは限りなくゼロである。どうしても何かひねり出さないといけないとしたら、大学の先輩がよく「壊れかけのRadio」を歌っていたなあということ。それくらいだ。その徳永英明が、歴史のあっさい、芸術的な何かの起源であることなどないだろうアメリカ西海岸を旅するのだ。はずれだな、見るのをやめよう、と思った。

徳永英明が彼の地を訪れた理由は、「上を向いて歩こう」だった。「時代と国境を越え生き続けてきたこの曲を、今どう歌えばいいのか。どう歌えば人に伝わるのか」、その手がかりを探す旅だった。私は押しかけた消去ボタンをキャンセルして、腰を据えた。

「上を向いて歩こう」の全米大ヒットは、カリフォルニア州中部にあるフレズノという街から始まったのだそうだ。KYNOというFMラジオ局に、1963年のある日、日系人と思われるリスナーから一枚のレコードが送られてきた。時の人気DJサム・シュワンは、自分の番組でこの曲を流した。すぐにリスナーから電話があった。そこでサム・シュワンは、恐らく例外的に、再度このレコードに針を落とした。さらに多くの反応があった。何度も何度も電波に乗せた。マネージャーが怒ってすっ飛んで来たそうだ。

そうしてフレズノで起こったブームを全米に広めたのは、LAのレコード会社だった。ビートルズやフランク・シナトラも手がけたプロデューサーの元に、フレズノのDJから電話があった。プロデューサーはこの曲を気に入って、その頃イギリスから届いたビートルズよりも優先して売り出した。「SUKIYAKI」はヒットチャートのトップに輝いた。その後、国境も時代も越えて、半世紀も歌い続けられることになった。

言語の違うこの曲の、何がそうまで人々の心を捉えたのか。その答えを探すことが、この旅の目的に取って代わった。徳永英明は、旅で会った様々な人にこの問いを投げかけた。

前出のラジオ局KYNOの現マネージャーの答えはこうだった。「坂本九が情熱をもって、自分のものとしてこの歌を歌ったことが、言葉を越えて伝わったのだ」。同局の現DJは「言葉が分からないことは魅力だった。素晴らしいメロディに自分の言葉を乗せて歌いたくなった」と言った。元テイスト・オブ・ハニーのボーカリスト、ジャニスは、「10歳でラジオから流れるこの曲を聴いた時、幸せそうな歌、踊りたくなるリズムに魅了された。悲しい歌だなんて思いもしなかった。どんな問題を抱えていても忘れさせてくれる、悲しい歌詞なのに心を慰めてくれる、不思議な力をもった歌」と語った。ジャニス同様、この曲をカバーしたタック&パティは、「詞よりも音で感情に訴えてくる。だからアメリカで、癒しの曲になり得た」と答えて、徳永英明の旅を締め括った。

私は、この歌が多くのアメリカ人に支持された直接的な理由は、曲、とりわけコード進行なのだと思う。作曲した中村八大には、アメリカでジャズを学んだというバックグラウンドがあるそうだ。無粋だけど、なんだ、分かりやすい理由じゃないか。だけど同時に、「それだけじゃない」と確信もした。

元HOOTERSのエリックも、この曲をカバーしたひとりだ。曲の魅力を聞かれたエリックは、「9歳の時、ラジオで聴いた。意味なんて分からない、まずコード進行に心が打たれた」と言ってサビの部分を歌った。「幸せは」メジャーコードから、「幸せは」マイナーコードへの転調。さらに「全てが素晴らしい」と、前奏を演奏して、「ほらね」という顔をしてみせた。そして、エリックが最後に発した言葉が、私の言葉にならない確信を具体的にした。

「僕は、坂本九が“上を向いて口笛を吹いている”と感じた。英語じゃないなんてことにすら、気がつかなかった。」


この曲が日本でリリースされたのは1961年。安保闘争の翌年だった。永六輔は、大国アメリカに対する複雑な思いを胸に、「涙がこぼれないように」と書いた。その歌を、高度成長期の応援歌として、結果的に時代を越える希望の歌として、持ちうる限りの力を乗せて、笑顔で歌い切ったのが坂本九だったのだ。この歌は、ナレーターが言うような「誰が歌っても愛される名曲」なのではない。少なくとも、歌が生まれたその時には。坂本九がその歌声に乗せた力を、人々は言葉を越えて感じ取ったのだと思う。


当時からフレズノで暮らしていた日系人は、自分達はいつの間にかこの国にとって「敵国の民」になっていた、と振り返った。強制収容所で苦しく屈辱的な生活を送っていた彼らにとって、あの曲の意義とは、日本に対する偏見の払拭。

「日本人であることを誇りに思えた。」

たった一曲の歌によって。それが「上を向いて歩こう」だった。


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