2011-03-06

ジャパンツアー食日記~最終回のひとつ前~

父の握った折り詰めを鞄に入れて、最寄の駅まで母に送られた。少し時間があって、吹きさらしのホームで二両編成のディーゼル車を待った。寒いので、母には帰るように言ったのだけど、一緒に待つと言って留まった。こうゆうときはだいたいいつも、父か兄か妹についての悩み事が出てくるんだけど、今の母にはそういう心配の種がないようだった。「向こうでは日本食は食べられるのか」とか「寒いのか」とか「暑いのか」とか、何度も話したようなことをまた話した。母は一年半前に乳がんの手術をしている。今はもう病気になる前より元気なんじゃないかというぐらい元気だし、「病院に行ってばかりで、行くたびにあっちこっち言われるけど、結局なんともない」と言った。心配させまいとして無理に言ってるわけじゃないということは、娘なりに分かる。「主治医の先生が転勤になるので新しい後輩先生がいらっしゃる。『くれぐれも太ってることに触れないように』と忠告を受けた」と話して、のんきだねーとふたりで笑った。

朝、姪から手紙を渡されていた。新幹線に乗って、ひと息ついて開いた。



それ質問投書じゃねーか。
しかも、「いっつも」って、文章なのになまってるって。



妹の子供たちはかわいい。
可愛くてとてもいい子供たちだ。(なまってるけど。)
賢くて優しくて元気いっぱいだ。(なまってるなりに。)
私は妹より10歳も上の姉だけど、彼女には敵わないと思う。



東京について旧職場に挨拶し、手作りパンの友人と合流した。
お寿司を開くと、友人はほんとうに嬉しそうに、ぱくぱくたいらげた。
そしてまたふたりでビールを飲んだ。
東京に宿泊している間は、こんなふうに毎晩ふたりで飲んだ。
たくさん話した。
こうゆう時間は、私のアメリカ生活にはない。
とても楽しかった。

翌日、大阪へ飛んだ。



「たこ焼きが食べたいな~。まずはどこかたこ焼き屋を探そう。」
と、飛行機を降りると、そこには、つまり降り立ったゲートの目の前にたこ焼き屋があった。
おおさかだよなー、と、カウンターに座った。
ソースも青のりも、かつおぶしもかかっていない。
「会津屋」という、美味しんぼうにも登場した老舗だ。
ぺろっと食べて、実は翌日東京に戻るときも寄った。

なんばへ向かうリムジンバスの中で、「大阪にきた」旨、ついーとした。
すぐに「なんばに行くなら千とせで肉吸いを食べるべし。」と返信があった。



30分後にはそこにいた。



これが肉吸い。牛肉のお吸い物。



とろりと、卵が出てきた。
ものの5分でたいらげてしまった。

この肉吸いにうどんが入った肉うどんもあるのだけれど、「肉吸いと小玉」のセットで注文するのがいいらしい。「小玉」とは卵かけご飯のことである。周囲の人達が美味しそうにこれを食べている。でも、私は肉吸いだけでもうノックダウンされていた。

下町を歩いて、もう一軒、薦めてもらった店を探した。



地下街にあるベルギービールのお店。



憧れの自然発酵(ランビック)ビールを飲んだ。
すっぱいのが特徴。そして、とても強い。口当たりもアルコール度数も。
好みのビールだ。

滞在中、日本のビールは本当に美味しい、と何度も思っていた。苦いのだ。
アメリカのビールは(アメリカで買うキリンやアサヒも)対称的に、甘く、あるいは軽く、物足りない。
このベルギーものならアメリカでも探せるかもしれない。





とあるクラブで4年ぶりの友人と再会した。
音楽を聴いて、お酒を飲んだ。
深夜まで、友人やその仲間のみなさんと音楽の話をした。
すごく刺激のある夜だった。

翌日、早起きして大阪城の周りを歩いた。
お昼すぎに東京に戻った。



家を新築した友人宅を訪ねた。
前々回はまだお腹の中にいて、前回生後6ヶ月だった赤ちゃんは、1歳をすぎて走り回っていた。
その子供の成長とは、そのまま友人が作り上げた偉業だ。
その子が幸せそうであればあるほど、友人がそれを吹き込んだのだと胸が熱くなった。

夜、いつもの仲間が有楽町に集まった。
翌日は結婚式に参列する、今回帰国の大事な本番なので、「くれぐれも終電までに解散!」と宣言した。
でも、終電の時間にみんなと別れるのはやっぱり難しくて、もの足りなかった。
やっぱり「次回はオールで!」と、解散後メールが飛び交った。

~最終章へ続く~ (あれ?それって前回も言ってたような・・・笑)

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